Mr.Children「名もなき詩」の歌詞の意味を考察!

Mr.Children

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「名もなき詩」は1996年2月5日に発売されたMr.Childrenの10番目のシングルです。

1996年6月24日に発売した5番目のアルバム「深海」にも収録されており、ドラマ「ピュア」の主題歌にもなったり、2003年にはエリエールのCMに起用され、直近では三井不動産の連続CMドラマ「三井のすずちゃん」の主題歌としても使用されている曲で、発売当初から現在にかけて、長く聞き続けられている曲です。

名もなき詩の歌詞はこちら

「名もなき詩」ができるまでの背景

この時代のMr.Childrenは1994年から1996年にかけて、「innocent world」や「シーソーゲーム∼勇敢な恋の歌」「Tomorrow never knows」など、今でも聞き続けられているような名曲を連続で出し続けており、Mr.Childrenの黄金期ともいえる時代に制作された曲です。

2番のサビで「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気が付けばそこにあるもの」という歌詞が出てきますが、このフレーズが出来上がった際、「絶対に、この曲を歌入れするまでは死にたくない!」と桜井さんは思ったそうです。

また、最後のサビの前には「成り行きまかせの恋に落ち・・・」と続く、早口のパートがあります。
某音楽番組では、あえてメロディーにのっけずに早口で歌うことで、メッセージ性が増すという効果があり、あえてメロディーに乗せずに早口で歌う手法は当時は天才的と評されていたそうです。

そんな「名もなき詩」の歌詞を考察していきます。
あくまで一個人の解釈として楽しんでいただければと思います!

「名もなき詩」の歌詞考察

ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる
Oh darlin 君は誰
真実を握りしめる

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

名もなき詩は、主人公が「君」である彼女に対する思いや考えを伝える曲だと思います。

”ちょっとくらいの汚れ物ならば残さずに全部食べてやる”と少し強い表現・言い回しですが、要するに自分が好きな彼女が過去にいろんな恋愛経験があり、色々遊んできた子であると知っているけど、それでも「君」の事を愛するよという意味が込められていると思います。

君が僕を疑っているのなら
この喉を切ってくれてやる
Oh darlin 僕はノータリン
大切な物をあげる

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

そんな「君」である彼女が僕のことを疑っているのであれば、喉を掻き切ってもやってもいいくらい君のことが好きで、それだけの覚悟ができているという意味が込められています。

また、”ノータリン”というのは当時、「脳足りん」を言い換えた差別用語として放送禁止用語となっていたのですが、ここでは君に対する想いや愛情は、自分では頭が整理しきれないほど溢れているという事が伝わります。

大切なものを全部あげてもいいくらい、愛しているという意味が理解できます。

苛立つような街並みに立ってたって
感情さえもリアルに持てなくなりそうだけど
こんな不調和な生活の中で
たまに情緒不安定になるんだろう?
でも darlin 共に悩んだり
生涯を君に捧ぐ

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

現代のストレス社会において、自分の感情が持てなくなったり、情緒不安定になることもあるけど、それでも君と共に悩んで歩んでいきたい。
生涯を君に捧げるとしており、それだけ彼女である「君」に対する想いの強さが見えます。

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

1番のサビです。
自分らしくい続けることの難しさを、他人のせいにしたくなったりすることもあると思います。

周りから見える「自分」と、実態としての「自分」の差分に苦しみ、実際の自分とは異なる周りから見える「自分」を意識し、周りからの目を気にして生き続ける事に苦しむことは、自分もそうだし、君もそうなんじゃないかとしています。

そんな周りからの評価と実態との乖離に苦しむのは、君だけではなく僕もだとしており、互いに本物の自分と向き合い乗り越えていこうとしています。

どれほど分かり合える同志でも 孤独な夜はやってくるんだよ
Oh darlin このわだかまり
きっと消せはしないだろう
いろんな事を踏み台にしてきたけど
失くしちゃいけない物がやっと見つかった気がする
君の仕草が滑稽なほど 優しい気持ちになれるんだよ
Oh darlin 夢物語
逢う度に聞かせてくれ

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

どれほど愛し合った同志でも、喧嘩をしたり心が離れる時はやってくるしそういったわだかまりは消すことはできないけど、そういう経験が積み重なる度に、失くしちゃいけない事、つまり君との関係性や思い出の重要さについて知ることになります。

またここでは、「会う」ではなく「逢う」という漢字が使用されています。

「会う」は、人と顔を合わせたり、対面する、集まるという意味が込められていますが、「逢う」には、大切な人に逢うなど、愛おしい気持ちや運命を感じる時に使われます。
このあたりにも桜井さんのこだわりがみえますね。

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気が付けばそこにある物
街の風に吹かれて唄いながら
妙なプライドは捨ててしまえばいい
そこからはじまるさ

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

桜井さんがライブの中で、2番のサビに入る前に「こっから大事な言葉」といってサビに入ったことがあったりするのですが、名もなき詩の中でも桜井さんが最も伝えたいメッセージになっていると思います。

互いに見栄を張った自分ではなく、素の自分をもって向き合うことから始まるとしています。

絶望、失望 (Down)
何をくすぶってんだ
愛、自由、希望、夢 (勇気)
足元をごらんよきっと転がってるさ

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

絶望や失望など、気分が落ち込むこともあると思います

ただ足元を見れば、愛や自由、希望などが転がってるから、ポジティブで自分の歩みを進めていこうというメッセージが込められています。

成り行きまかせの恋におち
時には誰かを傷つけたとしても
その度心いためる様な時代じゃない
誰かを想いやりゃあだになり
自分の胸につきささる

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

メロディーに乗せずに早口になっている部分です。

成り行き任せというのは、”外的な要因に従って行動したり、物事が変化・推移に身をまかせたりすること、自然の成り行きにゆだねる事”という意味を指します。

おそらくここでは、昔の恋愛で遊びで付き合っていた(成り行きまかせの恋)相手を傷つけてしまったという経験が思いのほか辛く、相手の心もですがそれ以上に自分の心に大きなダメージを与えていることが理解できます。

永遠に続く恋愛と出会える可能性はそこまで高くなく、全ての人がいま付き合っている人と結婚できるわけではないため、傷つけてしまったことをそこまで深く考えなくてもいいと伝えたいのではないでしょうか

みんなが、そんな別れをみんな乗り越えているから大丈夫と伝えたいのだと思います。

だけど
あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら誰だってそう
僕だってそうなんだ

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

ここで「だけど」という言葉が入っており、前述したメッセージに対して反対・対立している事を後述しているとしています。

過去のつらい経験を忘れて前を向こうと思っても、そもそも人は優しいものなので、その性質に従って生きることで傷ついてくものだとしています。

そんな現実と向き合い、自分らしさと向きあっているのは「君」だけでなく僕もなんだとしていて、一人で悩み苦しまなくてもいいと暗示しているように見えます。

愛情ってゆう形のないもの
伝えるのはいつも困難だね
だから darlin この「名もなき詩」を
いつまでも君に捧ぐ

<出展>名もなき詩/Mr.Children 作詞:桜井和寿

愛情というのは形が無いものであり直接言うのは難しいから、詩にして君に捧げるとしています。

ちなみに名のなき詩では、「歌」ではなく「唄」でもなく、「詩」という字が使用されています。

「歌」は「旋律やリズムを付けた言葉を、声に出して表すもの」としています。

また、「唄」は「歌」と同じ意味で使用されることが多く、旋律やリズムを付けた言葉を粉に出して表すものであり、伝統的な邦楽に乗せられて発せられる言葉の際に、「歌」ではなく「唄」が使用されます。

それに対して「詩」というのは、文学の一様式としての「詩(し)」を意味し、自然や人間の営みなどから受けた感動を言葉で表したものと言われています。

つまり「名のなき詩」というのは、「交際記念日」や「結婚記念日」などではない、2人にとって名前のない日、つまり日常において感じた好きな人への想いや感情を言葉で表したもののことだと解釈しています。

まとめ

「愛はきっと奪うでも 与えるでもなくて 気が付けばそこにあるもの」で有名な「名もなき詩」ですが、歌詞を読み解いていくともっと奥が深く解釈できると思います。

歌詞考察の最後で記した通り、曲名の「名もなき詩」というのは”記念日などではない、2人にとっては名前のない日・日常において感じた好きな人への想いや感情を言葉で表したものだと解釈しました。

ライブではこれまで多く演奏されており、Mr.Childrenの公式YouTubeチャンネルでも、HOME TOURの時の映像とAgainst All GRAVITYの時の映像が公開されています。

個人的にはHOME TOURの時の映像が好きなのですが、Against All GRAVITYの時の名もなき詩も、テイストが異なりおすすめです。

Mr.Children ”HOME” TOUR 2007 ~in the field~ 名もなき詩
Mr.Children Dome Tour 2019”Against All GRAVITY”名もなき詩

ぜひ聞いてみて下さい!

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