Mr.Children「1999年、夏、沖縄」の歌詞の意味を考察

Mr.Children

「1999年、夏、沖縄」は2000年8月9日に発売されたMr.Childrenの19番目のシングルである「NOT FOUND」のカップリング曲としてリリースされています。

また、Mr.Childrenのカップリング曲を集めた14番目のアルバム「B-SIDE」にも収録されています。

「1999年、夏、沖縄」ができるまでの背景

2000年にリリースされているが、歌詞自体は1994年に沖縄を訪れた際の出来事をもとに執筆されているそうです。

桜井さんは、シングルとしてリリースしていないものの、Mr.Childrenにとって大事な曲であるとしており、20周年や25周年といった節目の年のライブで演奏されています。

「1999年、夏、沖縄」は、Mr.Childrenが沖縄での体験や、その中で感じた複雑な感情を描いた楽曲です。この曲は、沖縄という場所が持つ歴史的背景や、個人的な経験が交差することで生まれる独特の感情を表現しています。テーマとしては、過去と現在、個人と社会、自由と平和について深く考察されています。

また、Mr.Childrenの楽曲の中では7分40秒とかなり長くなっております。

そんな「1999年、夏、沖縄」の歌詞考察を始めていきます!

「1999年、夏、沖縄」の歌詞考察

僕が初めて沖縄に行った時
何となく物悲しく思えたのは
それがまるで日本の縮図であるかのように
アメリカに囲まれていたからです

とはいえ94年、夏の沖縄は
Tシャツが体にへばりつくような暑さで
憂鬱なことは全部夜の海に脱ぎ捨てて
適当に二、三発の恋もしました
ミンミン ミンミンと蝉が鳴いていたのは
歓喜の歌かそれとも嘆きのブルースか
もはや知るすべはないがあの蝉の声に似たような
泣き笑いの歌を奏で僕らは進む

沖縄が日本に返還されたのは1972年のことになります。
歌い出しの”僕が初めて沖縄に行った時”は、恐らく沖縄が既に日本に返還されているタイミングかと思いますが、依然としてアメリカ軍基地があったりなど、アメリカに囲まれているように感じたとしています。

そんな沖縄で蝉が鳴く声は、歓喜の歌なのか嘆きのブルースなのかとしています。

また、ここでよくファンの中で取り上げられるところが”適当に二、三発の恋もしました”の部分ですね。

恋の単位を”発”で表現するのは桜井さんの変態度合い(良い意味で)がさすがといったところですね笑

「94年、夏の沖縄は Tシャツが体にへばりつくような暑さで」という具体的な描写から、主人公の個人的な体験が詳細に語られます。夜の海に憂鬱なことを脱ぎ捨て、適当に恋をする様子は、若者の自由さと一瞬の楽しみを表現しています。

しかし、「蝉の声に似たような泣き笑いの歌を奏で僕らは進む」という部分では、歓喜と嘆きの両方を感じる複雑な心境が描かれています。

いろんな街を歩き いろんな人に出会い
口にしたさようならは数しれず
そして今想うことは 大胆にも想うことは
あぁ もっともっと誰かを愛したい

沖縄に訪れた事も含め、いろんな街で色んな人と出会い、そして別れを繰り返す。

そんな色んな人と出会う経験の中で、人から受ける優しさや愛情に感謝している様子が読み取れます。

酒の味を覚え始めてからは
いろんなモノを飲み歩きもしました
そして世界一のお酒を見つけました
それは必死で働いた後の酒です
戦後の日本を支えた物の正体が
何となく透けて見えるこの頃は
平和とは自由とは何か 国家とは家族とは何か
柄にもなく考えたりもしています

ここで名言ですね。

”酒の味を覚え始めてからは いろんなモノを飲み歩きもしました そして世界一のお酒を見つけました それは必死で働いた後のお酒です”

「戦後の日本を支えた物の正体が 何となく透けて見えるこの頃は 平和とは自由とは何か 国家とは家族とは何か」という歌詞は、戦後の日本の復興を支えた要素についての考察が含まれています。

平和や自由、国家と家族というテーマは、現代社会においても重要な議論の対象であり、この曲を通じて深く考えさせられます。

生まれた場所を離れ 夢からも遠くそれて
あぁ僕はどこへ辿り着くのだろう
今日も電車に揺られ 車窓に映る顔は
そうほんのちょっとくたびれているけれど

神は我等を救い賜うのでしょうか
それとも科学がそれに代わるのでしょうか
永遠でありたいと思うのは野暮でしょうか
全能でありたいと願うのはエゴでしょうか

「生まれた場所を離れ 夢からも遠くそれて あぁ僕はどこへ辿り着くのだろう」という部分は、夢を追いながらも、夢果てて思っていた人生とは異なる人生を歩んでいる様子なのかなと思います。

「神は我等を救い賜うのでしょうか それとも科学がそれに代わるのでしょうか」という歌詞では、そんな夢果てた自分を救ってくれるのは何なのかと自問自答し、なかなかうまくいかない中でこのまま夢を追ってもいいのだろうかと考えている様子が読み取れます。

時の流れは速く もう三十なのだけれど
あぁ僕に何が残せると言うのだろう
変わっていったモノと 今だ変わらぬモノが
あぁ 良くも悪くもいっぱいあるけれど

そんな自分を見失いながらも夢に向かって頑張ってきた先に思うことがいろいろあったかもしれません。

そしてあっという間に30歳になった今、自分達には何が残せるのだろうか。

そういう風に自分たちの在り方を自問自答している様子が理解できます。

そして99年夏の沖縄で
取りあえず僕らの旅もまた終わり
愛する人たちと 愛してくれた人たちと
世界一の酒を飲み交わしたのです

最後の曲が終わり 音がなり止んだ時
あぁ僕はそこで何を思ったのだろう
選んだ路とはいえ 時に険しくもあり
些細なことで僕らは泣き笑う

ここで出てくる世界一の酒というのは”必死で働いた後のお酒”だと思います。

夢に向かって頑張る中で、自分が選んだ選択肢だからこそしんどくてもその過程を楽しんでいこうちうメッセージが含まれているのではないでしょうか。

いろんな街を歩き いろんな人に出会う
これからだってそれはそうなんだけど
そして今想うことは たった一つ想うことは
あぁ いつかまたこの街で歌いたい
あぁ きっとまたあの街でも歌いたい
あぁ そして君にこの歌を聞かせたい

これからの人生で色んなことが起きるだろうけれど、これまでのいろんな出来事や出会った人たちに感謝し、これからも進んでいきたいといったメッセージが込められているのではないでしょうか。

まとめ

「1999年、夏、沖縄」は多くのファンに愛されている隠れた名曲です。

Mr.Childrenらしい詩的な表現と深いメッセージ性が特徴であり、聴く者に強い印象を残す一曲です。この歌詞考察を通じて、曲が持つ多層的な意味を感じ取っていただければ幸いです。

YouTubeで公開されているライブ映像で、演奏されている様子が見れるのでぜひ聞いてみて下さい!

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