NHK紅白歌合戦は、戦後の日本において音楽を通じて人々の心をつなぐ存在として始まりました。第1回の放送が大きな反響を呼んだことを受け、翌1952年にも引き続き開催されたのが第2回紅白歌合戦です。
この頃はまだラジオ放送が中心であり、テレビによる全国的な中継は行われていませんでしたが、紅白歌合戦という番組名はすでに多くの人々に認知されつつあり、新春の恒例行事としての地位を少しずつ確立し始めていました。
第2回では出演歌手の顔ぶれもさらに充実し、日本の歌謡史に残る名曲が数多く披露された回として知られています。
第2回紅白歌合戦の概要
第2回NHK紅白歌合戦は、1952年1月3日に放送されました。前年に続き、放送形態はラジオで、NHKラジオ第1を通じて全国に向けて生中継されています。
番組の基本的な構成は第1回と同様に紅組と白組に分かれて歌を披露する対抗形式が採用されており、司会者を中心に進行するスタイルも踏襲されました。この回では紅組司会を加藤道子、白組司会を藤倉修一が担当し、総合司会は田辺正晴が務めています。放送時間は夜の1時間枠で、正月の夜に家族でラジオを囲みながら楽しむ娯楽番組として、多くの家庭で親しまれていました。
まだ勝敗に強いこだわりがあったわけではなく、あくまで人気歌手が一堂に会し、歌を通じて新年を祝うという意味合いが強かった点も、この時代ならではの特徴と言えるでしょう。内容の詳細はNHKが公開している公式の紅白歌合戦ヒストリーにも記録されています。
第2回紅白歌合戦が開催された1952年の出来事
1952年は、日本にとって大きな転換点となった年です。この年の4月にはサンフランシスコ講和条約が発効し、日本は連合国による占領を終えて主権を回復しました。戦後の混乱期から一歩前に進み、自立した国家として新たなスタートを切った年であり、人々の間には不安と同時に希望も広がっていた時代です。
経済や産業はまだ復興途上にありながらも、文化や娯楽に対する関心は着実に高まりつつありました。ラジオは依然として国民生活に欠かせない存在で、音楽番組は日常の中で心を和ませる役割を果たしていました。第2回紅白歌合戦が多くの支持を集めた背景には、こうした社会全体の空気感があり、歌謡曲が人々の気持ちを代弁する存在として重要視されていたことがうかがえます。
第2回紅白歌合戦の出場アーティスト一覧
第2回紅白歌合戦には、前回に引き続き当時を代表する人気歌手たちが出演しました。紅組には菅原都々子、暁テル子、菊池章子、赤坂小梅、松島詩子、二葉あき子、渡辺はま子が名を連ね、それぞれが持ち歌やヒット曲を披露しています。
戦後の女性歌手を象徴する存在が揃っており、哀愁や情緒を感じさせる歌声は、ラジオ越しに多くのリスナーの心に響いたとされています。
一方、白組には近江俊郎、楠木繁夫、東海林太郎、鈴木正夫、鶴田六郎、林伊佐緒、藤山一郎といった顔ぶれが揃い、当時の流行歌や国民的ヒット曲を披露しました。特に藤山一郎や近江俊郎といった歌手は、戦後歌謡を代表する存在として高い人気を誇っており、紅白歌合戦という舞台が彼らの存在感をさらに強める場にもなっていました。
第2回NHK紅白歌合戦(1952年) 出場歌手・曲目一覧
※第2回は1952年(昭和27年)1月3日にラジオ放送されました。
| 紅組歌手 | 紅組曲目 | 白組歌手 | 白組曲目 |
|---|---|---|---|
| 暁 テル子 | 東京シューシャイン・ボーイ | 伊藤 久男 | 山のけむり |
| 池 真理子 | 恋の街角で | 宇都美 清 | さすらいの旅路 |
| 笠置 シヅ子 | 買物ブギ | 岡本 敦郎 | あこがれの郵便馬車 |
| 久保 幸江 | ヤットン節 | 霧島 昇 | 赤い椿の港町 |
| 越路 吹雪 | ビギン・ザ・ビギン | 鈴木 正夫 | 豊年踊り |
| 三条 町子 | 東京悲歌 | 瀬川 伸 | 上州鴉 |
| 菅原 都々子 | 江の島悲歌 | 竹山 逸郎 | 愛染橋 |
| 轟 夕起子 | 腰抜け二挺拳銃 | 津村 謙 | 上海帰りのリル |
| 平野 愛子 | 虹よいつまでも | 鶴田 六郎 | 航海シャンソン |
| 二葉 あき子 | モロッコから来た女 | 灰田 勝彦 | アルプスの牧場 |
| 三原 純子 | しのび泣く雨 | 林 伊佐緒 | ダゴタの黄昏 |
| 渡辺 はま子 | 桑港のチャイナタウン | 藤山 一郎 | オリンピックの歌 |
まとめ
第2回NHK紅白歌合戦は、日本が主権を回復し、新しい時代へと踏み出した1952年に放送された、非常に象徴的な回でした。ラジオ番組としての紅白歌合戦は、まだ現在のような大規模な演出やテレビ中継はありませんでしたが、人気歌手が一堂に会する特別な音楽番組として、すでに国民的な注目を集めていました。戦後復興の只中にあった日本で、歌が果たした役割の大きさを改めて感じさせてくれる回であり、紅白歌合戦が長く愛される番組へと成長していく過程を知るうえで欠かせない歴史の一ページと言えるでしょう。