東京事変 メンバーから代表曲まで徹底解説

東京事変

「群青日和」「修羅場」「遭難」など、独特の世界観と卓越した音楽性で多くのリスナーを魅了し続ける”バンド”東京事変。椎名林檎を中心に結成されたこのバンドは、日本の音楽シーンに新たな風を吹き込み、一度の解散を経て再結成した今もなお、その影響力は健在です。ジャンルの枠に収まらない多彩な音楽性と、各メンバーの確かな演奏力が生み出す独自のサウンドは、多くの音楽ファンを虜にしています。本記事では、東京事変のバンド結成の経緯からメンバー一人ひとりのプロフィールまで、徹底的に解説していきます。

東京事変とは

バンドの結成と歴史

東京事変は2003年、ソロアーティストとして活動していた椎名林檎を中心に結成されました。当初は椎名林檎のバックバンドとして活動していましたが、2004年には「東京事変」という名前を冠した正式なバンドとして活動を開始します。

デビュー時のメンバーは、椎名林檎(ボーカル・ギター)、亀田誠治(ベース)、刄田綴色(ドラムス)、H是都M(キーボード)、晝海幹音(ギター)の5人。2004年5月26日、アルバム「教育」でデビューを果たしました。しかし2005年、H是都Mと晝海幹音が脱退。その後、伊澤一葉(キーボード)と浮雲(ギター)が新メンバーとして加入し、現在の布陣が完成します。

東京事変は5枚のオリジナルアルバムと3枚のライブアルバムをリリースし、精力的な活動を続けていましたが、2012年2月29日、「東京事変、本日、解散致しました」という突然の発表とともに解散。この解散は多くのファンに衝撃を与えました。

しかし2020年1月1日、公式サイトで活動再開が電撃発表されました。同年2月29日には新曲「永遠の不在証明」を配信リリースし、ファンを歓喜させます。2021年にはアルバム「音楽」を発表し、9年ぶりの全国ツアーを開催。再結成後も変わらぬクオリティの高い音楽を提供し続けています。

バンド名の由来と意味

「東京事変」というバンド名には、興味深い由来があります。

この名前は、椎名林檎が「こんなにすごいメンバーが集まるなんて、これは事件(事変)だ」と感じたことから名付けられたと言われています。各メンバーが確かな技術と個性を持ち、そんな実力者たちが集結したことへの驚きと期待が込められているのです。

また、「東京」という都市名が冠されていることには、このバンドの音楽性が持つ都会的な洗練さや、現代社会への鋭い視点を示す意味合いもあるでしょう。

「事変」という言葉には「重大な事件」という意味があり、日本の歴史では「満州事変」「支那事変」など、戦争・紛争を指す言葉としても使われてきました。こうした歴史的な重みを持つ言葉を現代的なコンテクストで用いることで、バンドの音楽がもたらす衝撃や革新性を表現しているとも考えられます。

東京事変の魅力

東京事変の最大の魅力は、ジャンルを超越した独自の音楽性にあります。ポップス、ロック、ジャズ、ファンク、ラテン、演歌など、様々な音楽ジャンルを自在に取り入れ、それでいて「東京事変らしさ」を失わないサウンドを確立しています。

椎名林檎の特徴的な歌声と文学的な歌詞世界は、バンドの核となる要素です。比喩や言葉遊びに満ちた歌詞は、一度聴いただけでは理解しきれない奥深さを持ち、何度も聴きたくなる魅力があります。

そして何より、各メンバーの卓越した演奏技術が生み出す高度な音楽性が、東京事変の大きな特徴です。亀田誠治のグルーヴィなベース、刄田綴色の精密なドラミング、浮雲の個性的なギターフレーズ、伊澤一葉の色彩豊かなキーボードプレイ。この5人が織りなすサウンドは、単なるポップミュージックの枠に収まらない複雑さと深みを持っています。

ライブパフォーマンスもまた、彼らの魅力の一つです。完成度の高い演奏はもちろん、椎名林檎の独特のMCや、メンバー間の絶妙な掛け合いなど、録音では味わえない魅力に溢れています。再結成後のライブも高いクオリティを保ち、古参のファンだけでなく新しいリスナーをも魅了し続けています。

メンバー紹介

椎名林檎(ボーカル)

  • 生年月日: 1978年11月25日
  • 出身地: 神奈川県茅ヶ崎市
  • 役割: ボーカル、ギター、作詞作曲

東京事変の中心人物であり、バンドの方向性を決める存在が椎名林檎です。彼女の独特の歌声と比喩表現に富んだ歌詞世界は、バンドの個性を強く印象づけています。

1998年に「幸福論」でソロデビューした椎名林檎は、その斬新な音楽性と過激な表現で音楽シーンに衝撃を与えました。東京事変結成前から、すでに「無罪モラトリアム」「加爾基 精液 栗ノ花」などのヒット曲を持ち、確固たる人気を築いていました。

東京事変では、ボーカルとしての役割だけでなく、作詞作曲も担当。バンドの楽曲のほとんどは彼女のペンから生まれています。また、ギターの演奏も行い、特にライブではアコースティックギターを弾きながら歌うシーンも見られます。

バンド内では「社長」と呼ばれ、メンバーからの信頼も厚いです。解散と再結成を経た現在も、その独創的な音楽センスとカリスマ性は健在で、東京事変のみならず日本の音楽シーン全体に大きな影響を与え続けています。

亀田誠治(ベース)

  • 生年月日: 1967年10月11日
  • 出身地: 東京都
  • 役割: ベース

亀田誠治は、日本を代表するベーシスト・音楽プロデューサーの一人です。東京事変ではベースを担当し、そのグルーヴィな演奏がバンドのリズム隊の要となっています。

亀田は東京事変の活動以外にも、スタジオミュージシャンやプロデューサーとして多方面で活躍しています。椎名林檎のソロワークにも参加しており、東京事変結成のきっかけとなった信頼関係がありました。BUMP OF CHICKEN、Bank Band、スピッツなど、数多くの人気バンドのプロデュースも手がけています。

バンド内では「先輩」的な存在で、豊富な経験と確かな技術で楽曲を支えています。特に椎名林檎との音楽的な相性は抜群で、二人のグルーヴ感が東京事変のサウンドの基盤となっています。

再結成後も変わらぬ実力を発揮し、バンドの安定感を支える重要な役割を担っています。

刄田綴色(ドラムス)

  • 生年月日: 1975年10月21日
  • 出身地: 神奈川県
  • 役割: ドラムス

刄田綴色(はただつづりいろ)は、その正確無比なドラミングと豊かな表現力で知られる実力派ドラマーです。東京事変では結成当初からメンバーとして参加し、バンドのリズムセクションを亀田誠治とともに支えています。

実は「刄田綴色」という名前は芸名で、本名は非公開です。椎名林檎のソロプロジェクトにも参加しており、その信頼関係から東京事変のメンバーとなりました。

その演奏スタイルは精密で力強く、特にジャズやラテンのリズムを取り入れた複雑な楽曲でもその実力を遺憾なく発揮します。「修羅場」や「遭難」など、テクニカルな演奏が要求される曲でも安定した演奏を見せる姿は、多くのドラマーからも尊敬を集めています。

バンド内では穏やかな性格として知られており、ライブでは時に椎名林檎とのコミカルなやり取りも見られ、ファンを楽しませています。

浮雲(ギター)

  • 本名: 椎名裕美子(しいな ゆみこ)
  • 生年月日: 1975年3月6日
  • 出身地: 神奈川県
  • 役割: ギター

浮雲(うきぐも)は、晝海幹音の脱退後、2005年に東京事変に加入したギタリストです。特筆すべきは、彼女が椎名林檎の実姉であるという点。姉妹でバンドを組むという珍しいケースとして話題になりました。

実は「浮雲」という名前は加入当初からのものではなく、初めは「緑星(りょくせい)」という名義でバンドに参加していました。その後、2006年に「浮雲」と改名しています。

ギタープレイは繊細かつダイナミックで、バンドのサウンドに華やかさを加えています。特に「OSCA」や「おしゃかしゃま」などの楽曲では、彼女の特徴的なギターフレーズが印象的です。

ライブパフォーマンスでは、椎名林檎と向かい合ってプレイする場面も多く、姉妹ならではの絶妙な呼吸が感じられます。再結成後も変わらぬギタープレイで、東京事変のサウンドに欠かせない存在となっています。

伊澤一葉(キーボード)

  • 生年月日: 1974年12月15日
  • 出身地: 岡山県
  • 役割: キーボード

伊澤一葉(いざわいちよう)は、H是都Mの脱退後、2005年に東京事変に加入したキーボーディストです。ジャズ、クラシック、ポップスなど幅広いジャンルに精通した演奏技術を持ち、バンドのサウンドに多彩な色彩を加えています。

伊澤は東京事変の活動以外にも、椎名林檎のソロワークやサポート、他アーティストのプロデュースなど多方面で活躍。特にジャズピアニストとしての技術は高く評価されており、その実力は音楽業界内でも定評があります。

東京事変の楽曲の中でも、「修羅場」の印象的なピアノイントロや、「御祭騒ぎ」のラテンテイストのキーボードフレーズなど、彼の演奏が際立つ場面は数多くあります。ライブではキーボードソロの見せ場も多く、その卓越した技術で観客を魅了します。

バンド内では冷静沈着な性格として知られており、時に椎名林檎の暴走(?)を支える存在としても重要な役割を果たしています。

脱退メンバー

H是都M(キーボード)

H是都M(エイチぜっとエム)は、東京事変の結成時から参加していたキーボーディスト。バンドのデビューアルバム「教育」と2ndアルバム「大人」に参加し、初期の東京事変のサウンド形成に貢献しました。

彼の本名は松下敦史で、現在は「H ZETT M」という名義で活動しています。テクニカルなピアノプレイが特徴で、特にジャズの要素を取り入れた楽曲での演奏が印象的でした。

2005年、2ndアルバム「大人」のリリース後に、音楽性の違いなどを理由に東京事変を脱退。その後は「H ZETT M」としてソロ活動や、「PE’Z」「the HIATUS」などのバンドでの活動を展開しています。また「H ZETT BAND」というバンドでも活動しており、多方面で才能を発揮しています。

東京事変時代の代表曲としては、「群青日和」や「遭難」などでの鮮やかなキーボードプレイが挙げられます。脱退後も音楽活動を精力的に続けており、現在も多くのファンに支持されています。

晝海幹音(ギター)

晝海幹音(ひるみみきお)は、東京事変の結成時から参加していたギタリスト。H是都Mと同様に、バンドの初期のサウンド形成に大きく貢献しました。

本名は平間幹央で、東京事変の活動前は「ヒラマミキオ」名義でセッションミュージシャンとして活動していました。テクニカルでエモーショナルなギタープレイが特徴で、特に「群青日和」のギターソロは多くのファンに記憶されています。

2005年、H是都Mと同時期に東京事変を脱退。脱退の理由については公式には明らかにされていませんが、音楽性の違いや、バンドの方向性の変化などが指摘されています。

脱退後は「ヒラマミキオ」名義で活動を再開し、ソロ活動や他アーティストのサポート、プロデュース業などを行っています。特に東京事変脱退後には長岡亮介(サニーデイ・サービス)などと「MICETEETH」というユニットを結成するなど、新たな音楽活動を展開しました。

まとめ

東京事変時代の代表作としては、前述の「群青日和」に加え、「関係」などの楽曲での演奏が特に評価されています。また、ライブパフォーマンスでも華麗なギタープレイで観客を魅了していました。

晝海幹音と浮雲のギタープレイは対照的な特徴を持ち、そのスタイルの違いが東京事変の音楽の変遷を表す一つの要素となっています。現在も個性的なギタリストとして音楽シーンで活躍を続けています。

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